北陸夜行列車最後の冬1
北陸行きの夜行列車としては戦前からあったといわれるが、能登の名称は昭和21年頃より登場した。また昭和34年9月22日ダイヤ改正で急行に昇格している。このときは東京発東海道本線・北陸本線経由金沢行きであった。また寝台特急北陸は上野発上越線経由の臨時夜行急行列車だった。昭和35年10月1日改正では急行能登は急行伊勢、那智と東京〜名古屋間で併結運転していたが昭和36年10月1日のダイヤ改正で能登単独運転となる。昭和40年ダイヤ改正で急行越前が登場し、能登は大和と併結運転を行うことになった。この時点で北陸行きの夜行列車上越線経由の急行北陸(上野〜金沢)、信越本線経由の急行黒部(上野〜金沢)・急行越前(上野〜福井)。東海道本線経由の急行能登(東京〜金沢)の4列車になった。しかし昭和43年10月1日に行われた白紙ダイヤ改正で急行能登が消滅してしまう。また急行黒部も廃止され、北陸行きの夜行列車は急行越前、北陸だけとなった。その後、昭和50年3月10日のダイヤ改正で急行北陸を特急に昇格させ、全車寝台20系客車を使用した。急行越前は座席車両であったが需要数に足りず、能登が復活する。このときのルートは高崎線・上越線・北陸本線経由金沢行きとなった。昭和57年11月15日のダイヤ改正で能登は信越本線経由となり、14系客車で運転された。しかし、特急北陸にA寝台個室やB寝台個室が新設され、能登の寝台の利用率は減少した。その結果平成5年3月18日のダイヤ改正で489系特急型電車となった。、また臨時急行越前が廃止され、能登は福井行きとなった。平成9年10月1日には北陸新幹線が長野まで開通し、信越本線横川〜軽井沢間が廃止され、急行能登は上越線経由に変更された。平成13年3月3日ダイヤ改正で上野から金沢に短縮され、現在に至る。平成22年3月13日改正で489系の老朽化と利用率減少で寝台特急北陸とともに定期運行廃止となる。(北陸は廃止、急行能登は多客期の臨時列車に格下げ)
朝4時前の高崎駅 まだ券売機も営業していません。 |
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4時過ぎに改札が開き、 ホームへ向かいます。 |
ホームに降りるともう入線して きました。 |
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最初に先頭車両撮影に行きま した。 |
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先頭車両はクハ489−501号車 です。 |
レディースカーなのであまり 撮影できませんでした・・・ |
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2両目モハ488−4 3両目モハ489−4 |
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4両目サロ489−23 | ||
5号車モハ488−204 | ||
6号車モハ489−19 | ||
この車両は半室がサロンになって います。 |
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7両目モハ488−6 | ||
8両目モハ489−6 | ||
9両目クハ489−1 番号の前の●は碓氷峠仕様の 目印です。 |
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