JR鳴門線(池谷~鳴門)
JR鳴門線は、阿波電気軌道が徳島と鳴門を結ぶ目的で、古川~中原~吉成~池谷~撫養(後のゑびす前、現・撫養)間を大正5年7月1日に開業したことに始まる。徳島には中原から吉野川の渡船で連絡していた。阿波電気軌道と名乗ってはいたものの、全路線が非電化で、当初の計画通りに電化できず後に阿波鉄道と改称した。撫養(現・鳴門)まで延伸された後、国有化され阿波線となり、高徳本線が全通した昭和10年3月20日に池谷~撫養(現・鳴門)間が撫養線となった。その後、昭和27年3月1日に鳴門線と改称された。鳴門線は、いわゆる赤字83線に指定されながら現在もJR線として存続している路線の一つである。鳴門線が存続した要因としては、赤字83線による指定から、特定地方交通線による廃止対象路線が検討されるまでに徳島市方面への通勤・通学客が増え、基準をクリアしたことが挙げられる。
訪問日:令和5年12月