JR烏山線

 明治44年3月に「烏山宝積寺間軽便鉄道敷設請願書」,同年8月には「軽便鉄道敷設に付き請願」が相次いで提出された。この「軽便鉄道敷設に付き請願」は常磐線と東北本線を結ぶ路線計画であったことから,明治45年2月宝積寺駅から烏山に至る軽便鉄道が帝国議会で可決された。地元では烏宝軽便鉄道の期成同盟会が立ち上げられたが,日露戦争に端を発した政府の資金不足から国の建設認可が下りなかった。しかし大戦景気により建設されることになり,大正10年1月宝積寺側より建設工事が着手され,大正12年4月15日に開通となった。(諸事情により開通式は5月1日に変更)昭和43年には「赤字83線」に選定され廃止対象とされたが,昭和45年の日本国有鉄道諮問委員会報告書で全国鉄路線各線の収支係数が公表され,収支係数の近隣他路線との比較で烏山線は存続され,それ以後特定地方交通線にも選定されることもなく,現在に至っている。

宝積寺 下野花岡 仁井田 鴻野山 大金
小塙 烏山

平成16年12月9日
平成25年9月再訪
令和2年8月再訪