JR東北本線(利府線)
日本鉄道は、第四区線として、明治23年に岩切~一ノ関駅間を開業した際、岩切駅から先は利府を経由して北上するルートが採用された。しかし、この区間には最大16.7パーミルの勾配が存在し、長大列車では補助機関車を連結する必要が生じ、さらには列車の遅れや運休がしばしば見受けられた。そのため、昭和の初めには、塩竈町(現塩釜市)長を会長とする「岩切松島間鉄道線路変更期成同盟」が東北本線の経路移設を求めて活動し、太平洋戦争が激化すると、貨物輸送を船舶から鉄道へ転移させる必要が生じた。岩切~品井沼駅間においても勾配の緩和が計画され、昭和18年4月に塩竈を経由する新線の建設が決まった。そして昭和19年11月15日に陸前山王~品井沼駅間に新線が開業。旧来の経路と合わせて2つのルートが併存する形となった。この時、岩切~陸前山王駅間は塩竈線から東北本線に編入された。新線は「東北海岸線」あるいは「海線」と呼ばれ、当初は駅も無く貨物列車のみが走行していた。しかしやがて、急行列車が経由するようになった新線が東北本線の主要経路となり、利府経由の通称「山線」ルートは普通列車による地域輸送が主体となった。「海線」が完全に複線化されると両ルート併存の意味が薄れて「山線」の廃止が濃厚となることから、「山線」の沿線住人はこれに反発し、存続運動を起こした。この影響で陸前山王駅から品井沼駅までの複線化は取り残された。それでも最終的には「海線」の複線化と「山線」の廃止が決まったが、代替交通手段が確保できないという理由で、「山線」の岩切~利府駅間は残されることになった。「山線」は新線の複線化が完成した昭和37年4月20日に松島(旧)~品井沼駅間が廃止され、同年7月1日に利府~松島駅(旧)間も廃止された。以後は利府町と仙台方面を結ぶ地域輸送が主となっている。その後、昭和57年の東北新幹線開業に際し、仙台工場・仙台第一新幹線運転所(後に仙台総合車両所に統合、現在は新幹線総合車両センター)が利府線沿いに設置され、関係者の通勤の便を図るために新利府駅が新たに設置された。
訪問日:令和7年8月